
ここ数年は温暖化が原因とされる異常気象が続いていますね。
異様にも思える夏の暑さや季節外れの台風、春や秋など暑くも寒くもない良い陽気の時期など、その季節ならではだと思っていたあれこれが少しずつなくなったり、タイミングが変化したり、過剰になったりしています。
どんな本だったかもう全く思い出せませんが、季節は「来る」ものではなく五感を通して「感じる」ものだと書いていた方がいました。童謡の「春が来た」では、「春が『来た』」ことを「山に来た 川に来た 野にも来た」と山の色合いや川の温度、野に咲く花の種類から気がつきます。「春」という名札をつけた誰かがやってきたことで春になるのではなくて、身の回りにある様々なものが少しずつ「春という季節にあるべき状態」にグラデーション状に変化していく。それがある一定の水準を超える(花が咲くとか、気温が上がるとか、雪が止むとか)とそのかけらを感じられるようになり、そこではじめて私たちは「春」という季節の変化を感じるんですね。
これまで感じてきた季節のかけらとは時期も形も変わってしまうかもしれませんが、そんな中でも私たちは日々を暮らして生きています。めまぐるしい変化の渦に巻き込まれたとしても、些細な変化を感じたり、感じるためのちょっと余白のある自分でいたいです。