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矛盾といっしょに歩く

みなさんこんにちは、スタッフの川眞田です。

矛盾していることはいけないことなのか。
「矛盾してるよね」と言われるとき、言うとき、一瞬だけそんなふうに思います。
矛盾の意味は「前後のつじつまが合わないこと。両立しないこと。論理が一貫しないこと」。
矛盾しているのはよくないことと教えられた覚えは山ほどあるし、
言葉の成り立ちからしてよくないエピソードだし、まぁ一般的にダメな感じはします。
でも、矛盾が一切ない人ってこの世にいるんでしょうか。


たくさんの矛盾

みなさんはどうか分かりませんが、私は確実にたくさんの矛盾を抱えています。

誰かに関わりたいけど、ひとりが気楽でいい。
安定も好き、挑戦も好き。
性善説と性悪説のメガネを頻繁に掛け替える。
ヒューマンドラマを見て涙するくせに、リアルで出会うヒューマンを憎む。

どちらもその時々の正直な気持ちで嘘ではありません。
嘘ではないからこそ、相反する気持ちが自分の中に同居していることに自分でも驚くことがあります。
まるで同一人物とは思えない!


人間と矛盾はセット?

自分って矛盾しているなと気がつくと、「どれが本当の自分か」と考えるのは自然な流れだと思います。
意識的に、または無意識に、私自身もそう考えてきました。
矛盾があっていいか悪いか、その中のどれかに「本当の自分」がいるのか、の結論は出ていません。
でも、例え矛盾していたとしても自然と生まれてくる感情に蓋をする、
そういう不自然なことはわざわざしなくてもいいのかなと思っています。
そんなわけで現時点では、私はどの自分もとりあえず「本当の自分」ということにして、
矛盾そのものを自分自身として生きていくのはどうか、と考えはじめています。
矛盾をイレギュラーとして捉えるのではなく、
そもそも矛盾しているのが人間だという前提にしてしまうということですね。


矛盾は変化、自然の流れ

私たちはつい、人や物事には必ずなんらかの一貫性やパターンがあると思いがちです。
でも少し周りを見渡してみたら、人や人が作る社会は説明がつかないことや合理的ではないもので溢れています。
自分自身だって、感情も考え方も、今この瞬間もどんどん変わっていく。
矛盾こそが自然な在り方なのかもしれません。
矛盾していることを受け入れると、意見を変えることや自分が変化することに柔軟になれるように思います。
「矛盾してるでしょ」と言われても、矛盾上等!みたいな心持でいられると強く居られますよね。
そして、自分が不完全だと認めることは、相手を不完全だと認めることにもつながる。
矛盾を悪者にしないこと、矛盾といっしょに生きていくこと。
現時点での私は、今、自分の中にある矛盾をそういう風に見つめています。


『ひとりの中にいくつもあって、どれも嘘じゃない』

先々週、最終回を迎えた連続ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。
大好きでずっと見ていたのですが、最終回でこんなセリフがありました。
(※録画を見て書き起こしています。)
“家族を愛していたのも事実。自由になれたらって思っていたのも事実。矛盾してる。
でも誰だって、心に穴を持って生まれてきてさ、それ埋めるためにジタバタして生きてんだもん。
愛を守りたい。恋に溺れたい。一人の中にいくつもあって、どれもうそじゃない。どれもつき子。”

つき子、というのは主人公・とわ子の亡くなった母親のことで、
とわ子が母親の遺品の中から見つけた手紙の宛先を訪ねた先にいた、つき子の友人である真(まこと)のセリフです。
このドラマを全部包み込むような、象徴的なセリフです。
深みは全く違うけど、似たような考え方の人が(架空でも)いてくれて嬉しいです。

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